「BUCKET LIST ~死ぬまでにしたいこと~」をテーマに世界70ヶ国以上を飛び回り、人生を駆け抜けてるリョースケです。
今の俺の活動を知るキッカケとして一番多いのは、”YouTube(登録者20万人)“やと思います。知らない人はこちら覗いてみてね。
これまでの活動を簡単にまとめると、、、
-25歳で独立起業(のちに2社の会社社長)
-26歳で巨大なキャンピングカー購入
-28歳で借金1000万を背負う
-1年間ホームレス生活
-1年でYouTube登録19万人突破(所属なし)
-スペイン~ロシアまでヒッチハイクと野宿
-アメリカ縦断+横断(合計17,000km以上)
-中米縦断(メキシコ〜パナマ)
-南米縦断(コロンビア〜ブラジル)
-世界中で慈善活動中(全大陸で)
-世界に教育を~基金を設立~
-世界中の部族と触れ合う
-トライアスロン完走
-ボリビアで6100mの山に登頂成功
-etc,,,,,,,,,,,,
動画の中であったりトークイベントではちょくちょく話してるけど、改めて俺自身の自己紹介をする必要があるなぁと感じたのでここに書きますね。
リョースケの基本情報
■生年月日
1989年10月25日(30歳)
■現在の住まい
1年の半分は日本(大阪府)、半分は海外
■出身地
山口県美祢市(ど田舎生まれ)
■趣味
旅、運動全般、筋トレ
■超簡単な来歴
-山口県で工業高校卒業まで生活。
-愛知県の私立大学に入学して卒業。
-東京の大手旅行代理店に入社。
-退社して起業して社長になる。
-借金を抱えホームレスになる。
-YouTuberになり今に至る。
サラッと人生日記
この子めっちゃ可愛い。そう、これが俺です笑。山口県の田舎で生まれ育ち、名前を書けば受かる工業高校で日々楽しく生活を送ってた。少しだけヤンチャだったので停学処分なども受けてしまう。この間に恩師から「青少年交換留学ボランティア」を紹介される。
その行き先でもあるオーストラリアでのホームステイから人生が180度変わった。工業高校なので当初は卒業してすぐ働くつもりだったが、両親に頭を下げて私立大学へ行くことが決まる。この頃から死ぬまでにしたいことを意識し始めた。
ええっと。。写真はキモいけど笑。(当時世間ではギャル男ブーム)こんな見た目やけど、大学生活では高校とはうって変わって勉強に励んだ。1年入学時には成績は下から数えて3番目。3年後期には上から数えて3番目にランクイン。その間はフランスに半年間滞在したり、国際ボランティアしたり、バックパッカーしたりと海外の文化に多く触れていた。そうやって自分自身も旅によって人生を変えてもらったという体験もあって、この感動を色んな人に届けたいと旅行業界を目指す。コミュニケーション能力は高く就活は得意分野だったので内定を6社もらい、その中から東京勤務が確定してる大手旅行代理店に入社を決めた。
旅行代理店では東京で主に”法人営業”を担当。会社の社員旅行や営業優秀者の報奨旅行など、既存の旅行ではなく、旅の0から現地まで同行する100まで関われる仕事が好きだった。ってか自分の行きたいとこ提案して、そこに行けるのが半端なく楽しい笑。だってハワイ10回以上は行ったし、北欧も3回くらい回って、高級クルーズ船にも乗ったし、ビジネスクラスにも乗ったし、本場のサッカー観戦ツアーも何度もやった。そのおかげもあって、
-全国500名の新人で最優秀の営業成績
-東京でも営業賞を複数回受賞
-営業社長賞
-最年少で1000名の新人への研修講師に抜擢
まさに無敵感。順調にキャリアを積んできた。だけど“何か”が足りんかった。もっと熱く、夢中になって挑戦し続ける人生にしたい。そうや! “死ぬまでにしたいこと”をまとめてたなぁ。それを見返してみようと思って見ると、
社長になりたい
と1行目に書いてあった。これや!と思ってすぐに退社。
そして特に何も決めないまま、ほぼ無一文で独立起業。全く新しいWEB業界の領域で挑戦が始まった。
旅行情報をWEBで発信する事業が好調で事業拡大。社員もみるみる増えていった。静岡県、種子島などでの地方自治体コンサル業や観光PRの手伝いも開始。
新会社を設立し、海外の労働者の方を雇ってホテルの清掃事業なども始める。
勢いに乗ってガンガン進み、そのおかげで年収も大幅に上がった。調子に乗って見栄を張るために沢山散財もした。
勝ちに不思議の勝ちあり、
故野村克也監督
負けに不思議の負けなし。
とはよく言ったもので。中途半端な覚悟と能力だったので、あれよあれよと言う間に事業拡大による失敗が続いていく。悪いことは続け様に起こる。資産運用を任せようと思ってた人が実は詐欺師でお金を奪われる。そして当時会社のNo,2だった同志がお金を持ち逃げた。状況が一変し、会社が倒産寸前になる。まだ収益の上がっていたWEBの事業を会社に売却して得たお金で社員達の清算をさせてもらい、手元に残ったのは借金だけ。。
そんな時に、最愛の祖父が亡くなった。一緒に住んでいた肉親が死ぬのは初めての経験で、お爺ちゃんの死は俺にとって衝撃的なことだった。棺桶に入ったお爺ちゃんを見た時に、自分が忙しいという理由で帰れず話もしてなかった自分が情けなくなり、嗚咽が止まらないくらい大号泣したのを覚えてる。そんなお爺ちゃんに最後の挨拶をしたのはお婆ちゃん。2人は事あるごとに喧嘩してた。でも棺桶に入ってお婆ちゃんの最後の言葉は、
今までありがとう。
本当にお疲れ様でした。
「お前は後悔のない人生を送れてるか?」
その姿を見て、そんな言葉を言われてるような気がした。それをキッカケに、
「BUCKET LIST(死ぬまでにしたいこと)
もう一度自分の人生のテーマと向き合おう。お金はないけど、社会的な信用もないけど、夢は追い続けたいと誓った。これを叶える為には、“好きなことで生きてく” = この活動を生業にするしかない。
リアルな映像を通してその世界を届けたいと感じ、今のYouTubeの活動に繋がってます。色んな事を乗り越えたからこそ今がある。全ての失敗や経験を糧に強くなった俺がいる。夢を追いかけること、世界の光の部分だけじゃなく、貧困国やスラム街を含め、普通は体験出来ないような事を体験が出来てる、今の環境に感謝しかない。
何よりもこの活動を続けていて嬉しいのは、日々の活動や旅の映像を発信することで、いつの間にか“誰かに”元気や勇気を届けられていることの意義。
人生の大切なパートナーで守るべき存在が出来て、より覚悟を持って全ての活動に取り組めること。日々沢山の方のメッセージやリアクションに感動し感謝しながら、この活動を止めることなく続けていきます。
慈善活動への想い
これまでリョースケは世界中の発展途上国、災害被害地域、貧困地域に向けた支援を行ってきて沢山の笑顔と接してきました。下記の動画がその一例です。有難いことにYouTubeで250万回以上の再生回数となっています。
世界中で様々な場所に行き、色んな境遇の方々と交流して感じたことは
世界は平等じゃないけど、それと幸せは比例しない。日々の当たり前は当たり前ではない。
苦しい環境にいる方や子供達と交流してると、本当にキラキラしていて小さな幸せを噛み締め力強く生活をしてる。
自分の当たり前の生活がどれだけ恵まれているか、ということを気付かせてくれる。それと同時に現実問題が見えてくることがある。それが、
生活や挑戦への選択肢がないこと
経済困窮によって教育を受けられなかったり、格差社会により仕事を選べなかったりなど、自分の幸せの尺度を越えた生活を想像出来ない。そして堂々巡りで自分の子の世代も、同じようなバトンを渡す他ないという問題。
生きる希望を持ち、強く生き抜こうとする皆んなに、機会平等のチャンスを作りたいと思って慈善活動を行ってる。今は自分自身の影響力を使って基金を立ち上げ、どれだけ社会に対して価値貢献の大きさを持って還元出来るか模索している途中です。
このブログ運営の目的
このブログの目的は、
■死ぬまでにしたいことの紹介
■活動の紹介
■日々思うことのブログ
色々あるけど一番の目的は、
“募金の見える化”です。
募金の見える化の詳細についてはこちらで書いてるので、必ず見て欲しい!
最後に伝えたいこと
人生色々あるけど、
生きてるだけで幸せや!
日常に感謝して、愛してる人やモノを大事に、笑っていこう!
※ちなみに俺の「死ぬまでにしたいこと」のリストはこちらを見てね。